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Dream Comes True

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「学校の先生になりたい」そう思ったのは小学校4年生のときだった。
当時の担任は身体が弱く、しょっちゅう勤務を休まれ、
そのたびに隣のクラスの担任や空き時間の教師が代わりに教壇に立たれた。
そんなとき、いよいよ療養のために長期休暇になるという担任に代わって、
代用教員が来られることになった。
さて、どんな先生がやって来られるのだろうかとワクワクしていた。
何しろ担任の先生は身体が弱いこともあり、いつも神経質そうな表情で、
教室でもあまり笑顔を見たことがなかったからだ。
さあ、いよいよ代用先生の登場だ。
ガラリと元気よくガラス扉を開けて入って来られた先生を見て、
教室の私たちは一瞬目を見張った。
今まで畑で野良仕事をしていました!という出で立ちだったのである。
年の頃は50歳をとうに過ぎて、
小太りで真っ黒に日焼けした顔をぐしゃぐしゃにして笑う女の先生だった。
その先生の赴任最初の授業は生徒一人一人と相撲をとることだった。
教室の机と椅子を全部後ろに下げて、白いトレパン姿に着替えた先生は、
子どもたちと相撲をとる。
一人残らず相撲を取る。
汗が流れるその顔にはやっぱりぐしゃぐしゃの笑顔が浮かんでいる。
もしかしら、その生徒との相撲は、初日ではなかったかもしれない。
それでも私の中の印象は鮮烈なまでに最初の出来事として残っている。
それからのその先生の授業は、毎時間毎時間が楽しくて仕方なかった。
僻地教育を自分の使命として続けてこられたのだそうだ。
私が通っていた小学校は町の中にあり、当時としては規模の大きな小学校だったのだろう。
こんな大きな学校に来るのは初めてだと話された。
いつもいつも汗をかきながら、子どもたちを同じ場所で同じ時間を過ごされた。
そのうち担任の職場復帰が決まり、その先生は教室を後にされた。
その期間は半年くらいだっただろうか。
その間に小学校4年生の私は「先生になりたい」という思いを持った。
教師という職業がどういうものかを知ったのではない。
むしろそのときの気持ちは「先生になりたい」ではなく、
「この先生のような人になりたい」だったのだろう。
それでもその夢は持ち続けていた。
大学でも教職課程を取り、出身高校で教育実習までした。
ただ母校での実習を終えた数週間後に、
その高校で成績が下がったのを苦にした生徒が自らの命を絶つという事件があり、
そのような切羽詰った状態の生身の人間を相手にしていく職業に恐れをなした。
そこで初めて教師という職業の重さに気づいたのかもしれない。
結局、教師という職業の選択はそこで断ち切ることになった。
それなのに、どこかで子どもたちと関わりたいという思いは生き続けていた。
小学校のバスケットのコーチを10年近くやってきたのも、子どもたちといることが嬉しかったからだ。
小学校4年の時、半年間お世話になった先生は、その後は再び僻地教育に情熱を燃やされ、10年近く前だろうか90歳を過ぎて亡くなられた。
「先生になりたい」そう思ってから41年。
明日、日本人学校の教師としてスタートする。

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by lanova | 2008-04-04 11:11 | Logbook