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Idyllic Times

現在の実家は、私が小学校4年生のときに両親が建てたものだ。
10歳から18歳までその家で過ごし、東京への進学で家を離れた。
その年代は友達と過ごしたり、部活などで学校で過ごす時間が大半で、家の周りで遊ぶなどということはあまりなかった。
近所に友だちが少なかったせいもある。
そこに10歳で引っ越すまで、過ごした家はもうない。
それでも幼い頃に遊びまわった小さな町の風景は今も残っているかもしれないというので、両親とともに出かけた。
子供の頃、過ごしたその町は、それなりに大きなエリアだったような気がしていた。
夕方、仕事を終えて帰ってくる母をバス停まで迎えに出るとき、子供の足にはとても遠かった。
自転車を買ってもらうと(最初の自転車はだれかのお下がりだったけど)、その自転車でバス停まで迎えに行った。
自転車で行かなければいけないような距離だったはずなのに、父の運転する車では、その町を抜けるのにものの数分もかからなかった。
こんなに小さな町だったのだろうかと、狐につままれたような気がした。

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子供時分に住んでいたところには天倫寺という古い寺があった。
この寺は1639年に」松平直政公によって開山された臨済宗の寺。
子供の頃には小高い丘の上にあるこの寺が格好の遊び場だった。
寺に上がるには石段を上らなければならない。
じゃんけん遊びで上に上る。
パイナツプル、チヨコレート、グリコ…

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そしてきれいに掃き清められた境内で日が暮れるまで遊んだ。
鬼ごっこにかくれんぼ、秋にはしいの実拾いもした。
その頃の和尚さんはとても優しい人だったと、子供心にも思ったものだ。
境内で遊んでいても文句を言われた記憶がない。
もちろん、その頃は年長の子供から小さな子供まで一緒になって遊んだものだ。
おのずと年長者が隊長となって子供隊は次々に遊びを開発していく。
また墓地はかくれんぼをするにはもってこいの場所だった。
不思議なことに墓地で遊ぶということに恐怖心は持たなかった。
両親とともにこの境内に立った時、そんな遠い遠い日のことが走馬灯のように思い出された。

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この天倫寺には国の重要文化財になっている釣鐘がある。
この梵鐘は朝鮮鐘で、細密な彫刻が施され、「高麗国東京内廻真寺」という鐘銘が刻まれているそうだ。
かつては年末の「行く年、来る年」のテレビ番組の中で全国各地の梵鐘として百八つを撞く音が全国に流されたこともある。
今は残念ながらこの鐘が撞かれることはないという。
子供の頃、この鐘で夕飯時を知ったものだ。

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この鐘楼の下には一面に露草が花を咲かせていた。
そういえばアメリカで露草を目にしたことはない。
生息地が限られているのだろうか…
天倫寺を訪れたのは、9月とはいえ、とても蒸し暑い日だったのだが、この露草に秋の訪れを感じた。
本堂の上に広がる雲も、いつしか夏の雲から秋のそれに変わっていた。

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墓地へと上がる石段沿いのお地蔵さんはそのまま健在だった。
何分にもこの天倫寺を訪れることさえ引っ越しして以来なかったわけだから、実に半世紀近く訪れなかったことになる。
それなのに、変わらぬ風景があるということは、何と嬉しいことか…
ふと「原風景」という言葉が頭の中をよぎった。

c0062603_1574583.jpgそれでもやはり50年近い時の流れは多くのものを変えていた。
当然のようにあのころの和尚さんは亡くなり、樹齢を重ねた木々は切り倒され、いくつかの建物は建て直されていた。
かつてはこの寺の門前から、宍道湖が一望できたのだが、今は多くの家屋や施設などが立ち並び、以前のような眺望はない。
変わってしまったものはいくつもあるけれど、父と母とともに、幼い頃に過ごした場所に立っていることが嬉しかった。

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by lanova | 2011-12-08 23:30 | Trip