Casa de NOVA in Minnesota

lanova.exblog.jp

タグ:歴史 ( 9 ) タグの人気記事

Summer vacation 2016 No.5

c0062603_05310959.jpg
スモールトリップの終盤は19世紀の後半の牧師一家が住んでいた家。
事務室や訪問客を迎えるための部屋などもあるが、こじんまりとしたサイズの家。
それでも当時としてはかなり珍しい冷蔵庫や子供用の椅子などもあったようだ。
この子供用の椅子は食事の際にはハイチェアになり、低くすると揺り椅子にもなる。
こういうところはアメリカのこの時代がうかがえて楽しい。
今のようにPCもスマホはもちろんテレビもない時代だから、さぞかし家族団らんは楽しい時間だったに違いない。
このころはきっと家族で話をするときもちゃんと目を見ながら話をしたのだろう。
電気もない時代、ベッドに入るまでの時間を惜しむように家族で過ごしたのだろうと思うと羨ましくも思えてくる。
c0062603_05314074.jpgc0062603_05315747.jpgc0062603_05320752.jpg
c0062603_05324700.jpgc0062603_05330287.jpg
c0062603_05332330.jpgc0062603_05333319.jpg
c0062603_05334932.jpg夏の花が咲く庭先を後にして、当時の洋品店をのぞく。
既製服もあったようだが、その多くは女性用の誂え品だったそうで、下着やドレスはもちろん、帽子や手袋、鬘まで作っていたそうだ。
女性がパンツを着用する前、コルセットでぎゅっと腰を絞り、ドレープのあるスカートをはいていた時代だ。
足踏みミシンも懐かしい。
古代から文明は水のあるところに栄えてきた。
今回、訪れたこのThe Landingもミネソタ川の河畔に位置している。
当時の交通機関は川を利用した船がほとんどだった。
そのため毛皮商人を中心としてこの地域に町がつくられていったのだという。
しかし、時代が下がるにつれて輸送機関は船から馬車、やがて鉄道、車へと変遷し、この地域を後にする人々も次第に多くなっていった。
それでもここから臨むミネソタ川は、とうとうと流れている。
時代は変わり、人々の暮らしが変わっても、変わらないものはある。
そんなことを思った今年の小さな夏休みだった。
c0062603_05340229.jpg

*写真はクリックで拡大
ポチッと、応援よろしくお願いします!

こちらもポチッとよろしく!
にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ中西部情報へ
にほんブログ村
[PR]
by lanova | 2016-11-12 14:55 | Trip | Trackback | Comments(2)

Summer vacation 2016 No.4

c0062603_02552432.jpg
引き続き、The Landing(ザ・ランディング)ツアー。
ここは当時の何でも屋というか、総合オフィスというか、百貨店というか…何でもあり。
食料品も売っていれば、毛皮や用品、食器なども扱う。
それだけではなく郵便局としての機能や役所としての機能も持っていたそうだ。
当時の人々はここ1箇所で全ての用事が済ませることができたのだろう。
何もかもが細分化された現代社会より、ずっと便利だったのかもしれない。
c0062603_02553931.jpgc0062603_02555168.jpg
c0062603_02561209.jpgc0062603_02562368.jpg
c0062603_02563547.jpgc0062603_02564625.jpg
c0062603_02565874.jpg缶詰のパッケージは当時のもの。
今よりもずっとキッチュでおしゃれ。
レジスターもなかなかゴージャス。
魔女の宅急便さながらの箒とエプロンもいい。
ハエ叩きは今も昔も、日本もアメリカも変わらないんだなあと妙に感心したりして、ショップを後にした。

c0062603_02572354.jpg
この後に回ったのは、少し年代が下がり、中流から上流の少し裕福な家庭の家屋。
部屋数もぐっと多くなり、2階にはいくつかのベッドルームがあるそうだが、閲覧できるのは階段までで2階に上がることはできない。
フォーマルなリビングルーム、ダイニングルーム、デーンと呼ばれるファミリールームもある。
当時としてはまだ珍しかった蓄音機やオルガンなどもあり、裕福な家庭の様子が伺える。
ほとんどの家庭では屋内に水道設備はなく、外の井戸から水を汲んだというが、裕福な家庭になると家の中に水道設備が整えられていたそうだ。
とはいえ、今のように蛇口をひねると水が勢いよく出てくるわけではなく、くみ上げ式のポンプが台所の中に備え付けられていた。
しかし、冬の寒さが厳しいこのミネソタでは、これほどありがたい設備はなかったのではないだろうか。
マイナス30度にもなる極寒の地でこの時代の人々はどう暮らしてきたのだろうか…
200年前の暮らしに思いを馳せるのも、また楽しい。
c0062603_02573791.jpgc0062603_02575997.jpg
c0062603_02582282.jpgc0062603_02583661.jpg
c0062603_02584834.jpgc0062603_02590191.jpg
c0062603_02591315.jpgc0062603_02592319.jpg
c0062603_02593679.jpgc0062603_02595091.jpg

*写真はクリックで拡大
ポチッと、応援よろしくお願いします!

こちらもポチッとよろしく!
にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ中西部情報へ
にほんブログ村
[PR]
by lanova | 2016-11-10 16:10 | Trip | Trackback | Comments(0)

Summer vacation 2016 No.3

c0062603_03140117.jpg

引き続き、ザ・ランディング。
1800年代前半のごく一般的なアメリカの家は、こんな感じでこじんまりとした清潔感のある家屋。
現在のやたら大きいことが価値があるかのように、その大きさを誇る家よりもよほどぬくもりが感じられるのだが…
でも、家の横にあるバーン(農作業小屋)はやたらと大きかった。
農機具の収納や干草を蓄えておくための小屋は、当時の人々にとって家屋よりも大切だったのかもしれない。
c0062603_03152620.jpgc0062603_03154049.jpg
c0062603_03141891.jpg
この家の正面には学校がある。
当時は全学年がこの一つの校舎の中で学んだという。
正面からの写真は床が傾斜しているのではなく、前から後ろに向かって机のサイズが大きくなるからだ。
日本の寺子屋のような学校だったのかもしれない。
農作業で忙しい両親に代わって子供たちの面倒を見るのは教師だった。
今のように学校と家庭とが分離している時代ではなかったのだろう。
ここで当時の様子を詳しく説明してくれたのは通常は図書館で働いているという女性。
雰囲気が学校の先生そのもので、思わず話に聞き入ってしまった。
c0062603_03172065.jpgc0062603_03175043.jpg
c0062603_03180383.jpgc0062603_03181507.jpg

c0062603_03183965.jpgc0062603_03185159.jpg学校を見た後は、少し時代が下がり家のサイズも大きくなった家屋とその生活ぶりを見る。
台所にある大きなストーブは暖を取るのはもちろん、ここで煮炊きをしたり、盥に入れるお湯を沸かしたり、アイロンを乗せて熱くしたりしたそうだ。
ストーブの上で熱くなった鉄の塊で衣類にアイロンをかけるわけだが、「ちょっと持ってごらん」と言われて持ち上げたアイロンの重さに取り落としそうになる。
こんな重いものをどうやってスムースに動かせたのか、当時の女性はたくましかったのだろうと思う。
古き良き時代のアメリカが感じられ、テレビ番組や映画でしか知らない世界へとふとタイムスリップしてしまうような感覚になった。
淡い色合いのカーテンや調度品にはアグレッシブなアメリカは感じられない。
お人よしの陽気なアメリカ人が窓の向こうから顔を覗かせるようなそんな気がしてくる。
c0062603_03190511.jpgc0062603_03191798.jpg
c0062603_03194043.jpgc0062603_03195237.jpg
c0062603_03200426.jpgc0062603_03201501.jpg
c0062603_03202882.jpg

*写真はクリックで拡大
ポチッと、応援よろしくお願いします!

こちらもポチッとよろしく!
にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ中西部情報へ
にほんブログ村
[PR]
by lanova | 2016-11-01 14:00 | Trip | Trackback | Comments(0)

Summer vacation 2016 No.2

c0062603_07162152.jpg
今回のサマーバケーションの行き先に選んだのはミネソタ川沿いにあるThe Landing(ランディング)。
ここではミネソタにヨーロッパから入ってきた人達が19世紀(1840頃~1890年頃)にどんな暮らしをしていたかを当時の家屋や生活用品をそのままの状態で保存し、公園の中を歩きながら疑似体験できる。
ここを訪れたのは7月24日だったので、公園の中には夏の色鮮やかな花々、それも花壇で丁寧に育てられたものではなく、牧歌的なワイルドフラワーがそこかしこに咲いていて、公園内に足を踏み入れると長閑だった時代にタイムスリップするようだ(とはいえ、アメリカの19世紀はテレビや映画で見るだけだけど)。
c0062603_07163627.jpgc0062603_07164759.jpg
c0062603_07165965.jpgc0062603_07171245.jpg

c0062603_07173517.jpg
公園の入り口から奥に進むに連れて時代が新しくなる。
最初に登場するのはこのミネソタ川沿いに定住したカナダからの移民の家。
ここに残っている家屋は実際にこの場所に建てられたものもあれば、離れた場所から移築したものもあるという。
いずれにしても新たに建てたものではなく、当時の建築様式そのもので残されていてとても興味深い。
元々はインディアンが住んでいたこの地にはドイツ人、アイルランド人、チェコ人、スカンジナビア人の移民が続いたという。
当初はドイツ人がとても多く、この地域ではドイツの生活様式が多く残されており、ドイツで生まれ幼少期を過ごした夫は懐かしそうに生活用品を見ていた。
c0062603_07175395.jpgc0062603_07181212.jpg
c0062603_07185363.jpgc0062603_07182399.jpg
c0062603_07191342.jpgc0062603_07193546.jpg
c0062603_07195369.jpgc0062603_07200989.jpg
c0062603_07202104.jpgc0062603_07203829.jpg
c0062603_07205284.jpgc0062603_07211765.jpg
c0062603_07210439.jpgここで最初に暮らした人々は皮貿易を行っていたという。
ミネソタ川を利用して交易は盛んだったそうだ。
その後は次第に農地を開拓し多くは農家となり、テレビや映画でよく見る開拓時代の生活が営まれていったという。
この家の中では収穫されたインゲン豆が屋根の下に吊るされて乾燥豆が作られていた。
薪をくべるストーブも懐かしい。
きっと冬の間はこのストーブの上には大きな鍋が乗せられていたのだろう。
そして家族はみんなこのストーブの周りに集まって、話をしたり繕い物をしたりしたのだろう。
今の暮らしのようにセントラルヒーティングでもないし、床暖房でもない。
きっと隙間風も入り込んで、冬の厳しいこの地ではさぞかし寒かったことだろう。
それでも「あたたかさ」をここに感じるのは遠い日の同じ「あたたかさ」を覚えているからなのかもしれない。


*写真はクリックで拡大
ポチッと、応援よろしくお願いします!

こちらもポチッとよろしく!
にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ中西部情報へ
にほんブログ村
[PR]
by lanova | 2016-10-23 21:00 | Trip | Trackback | Comments(2)

Sunflower River Blues & Gospel Festival 2

住宅地を抜けたExcursion Trainは広大な畑地の中へと進んでいった。
目に入ってきたのは古びた穀物庫だろうか。
このsmall tripの目的地、1852年に創業し、綿花栽培を行っていたプランテーションHopsonに到着だ。

c0062603_7515680.jpgc0062603_7522669.jpg
c0062603_7524383.jpgc0062603_7525766.jpg
c0062603_7531288.jpgc0062603_753338.jpg
c0062603_75697.jpgc0062603_7563049.jpg
小さな長屋風の家は、当時の小作人が住んでいた家。
現在ではここは宿泊施設として利用されている。
おしゃれなホテルもいいけれど、南部に訪れたなら、
当時の生活の匂いのするこんな場所で過ごすのも悪くない。
周囲には当時の大型農機具や消防車、ポリスカーなどが展示してある、というよりも置いてある。

c0062603_7584882.jpgc0062603_759776.jpg
ここはいわゆるコミュニティ施設。
プランテーションで働く人たちが、食事をしたり、お酒を飲んだり、
音楽を演奏したり、聴いたり、踊ったり…
散髪だって靴磨きだってできる。
まあ、福利厚生施設というところだろう。
それにして入り口の「いらっしゃいませ」マネキンにはギョッ。

c0062603_759292.jpgc0062603_7594199.jpg
c0062603_801856.jpgc0062603_803781.jpg
c0062603_805279.jpgc0062603_811199.jpg
c0062603_812870.jpgc0062603_821058.jpg
c0062603_822945.jpgc0062603_824848.jpg
c0062603_83676.jpgc0062603_843694.jpgc0062603_85026.jpg
当時の南部の農村の暮らしぶりがうかがえる民俗資料がいっぱい。
中には子どもたちが読んでいた本や衣類などもそのまま置いてある。
日本と違って陳列ケースにはいているわけでもなく、埃にまみれているけれど、
それも歴史の長さといえるのかもしれない。
Excursion Trainはここで30分の休憩と言いつつ、1時間くらい休憩し、
機関士も私たちもビールを楽しみ、ここの管理人から説明を聞いた後、再び列車に乗り込み、
Clarksdaleへと戻っていった。
それもずっとバック走行のままで…

*写真はクリックで拡大

ポチッと、応援よろしくお願いします!

こちらもポチッとよろしく!
にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ南部情報へ
[PR]
by lanova | 2011-01-03 17:45 | Music | Trackback | Comments(14)

Holly Springs 1

もう半月以上も前のことになるが、52歳の誕生日はたまたま日曜日だった。
これは丁度良いとばかりに、夫からどこでも好きなところへ連れて行ってやると、
バースディギフトのお出かけの提案があった。
これはありがたいと、ミシシッピに越してきてからなかなかタイミングがつかめず、
出かけられなかったBlues Music発祥の地、Clarksdaleに行こうと計画した。
ここにはモーガン・フリーマンの経営する、レストランとライブハウスもある。
ところが、やっぱりミシシッピはロサンゼルスやニューヨークのような都会ではないということを
うっかり忘れていた。
そう、ここ南部の人たちにとって、日曜日に最も重要なことは、教会に行くことなのである。
つまり「安息の日」。
当然、美術館や博物館などの公共施設はもちろんのこと、
レストランやライブハウス、ショップも休業なのである。
出かける前にそれがわかり、無駄足を踏まないで済んだのだが、
それでもやはりどこかへ出かけてみたい。
あれこれガイドブックやウェブサイトで探し、
目的地を我が家から1時間ほどのHolly Springsに決める。
c0062603_1142777.jpgc0062603_11425298.jpg
なぜならここにはWalter Placeと呼ばれる素晴らしい屋敷があり、
そこを見学できるという情報を見つけたからだった。
ここは南北戦争でリー将軍を負かして、北軍に勝利をもたらし、
第18代アメリカ大統領になったグラント将軍が妻と息子と住んでいた屋敷なのだ。
この家の現在の持ち主が、広く一般に公開しているとのことで、
当時のビクトリア調の屋敷の隅々までが見学できるはずだった。
ところがやはりまだまだ甘かった。
実は事前の予約が必要だったわけで、それを知らずに来たため、正面の撮影のみ。
それでもまた改めて来ればいいいわと、新たな目的地を探すことにした。

c0062603_11555624.jpgc0062603_115639100.jpg
その前に腹ごしらえをしようとダウンタウンに向かう。
初めての場所を訪れたときには、必ずダウンタウンに行くことにしている。
そこで昔からのホームメイドのレストランを探す。
よほどのことでない限り、そういうレストランで失敗をすることはない。
もっとも食事をできる場所もそう多くはないのだが…
後で知ったことだが、このHolly Springsには世界的にも有名なハンバーガーの店、
Phillips Groceryがあるという。
まあ、これも次回ということで…

c0062603_126209.jpgc0062603_127169.jpgc0062603_1275064.jpgc0062603_1283359.jpg
今回はJB's on the Squareというところ。
ちょうど教会帰りの人たちでにぎわっていた。
夫はホームメイドレストランの良し悪しは、
そこのグレービーソースでわかるといつも言っている。
あちこちから南部訛りの英語が聞こえてくる中で、
安息日の昼下がりはゆったりと時間が流れていた。
さて、おなかも満たされたところで、出かけた先は… to be continued

*写真はクリックで拡大

ポチッと、応援よろしくお願いします!

こちらもポチッとよろしく!
にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ南部情報へ
[PR]
by lanova | 2008-09-24 22:17 | Trip | Trackback | Comments(22)

Shikata Ga Nai...Manzanar War Relocation Center 3

c0062603_15222998.jpgc0062603_15225844.jpg
マンザナーを訪れたときは、カリフォルニアに大寒波が訪れる前だったが、背後にシエラネバダ山脈を擁するこの地は、まさに冷たい空気が当たり一面を覆っていた。
しかし澄んだ空気と雪を戴くシエラネバダ山脈の景色は美しい。
スキーを積んだ多くの車が、標高4,418mのアメリカ合衆国本土で最も高いホイットニー山を目指し走り去っていく。
冬はこの地は凍えるほど気温が下がり、寒風が吹きすさんだといい、夏は砂嵐が起こるほどの熱風が巻き起こっていたという。
展示館で展示品や当時のフィルムを用いたドキュメンタリーを見た後、ゆっくりとキャンプ地跡を車で回った。
この地ではよく見かけるBlue bird(青い鳥)をいたるところで見かけた。
幸せの青い鳥…当時ここで暮らしていた私たち日本人の祖先は、どんな思いでこの鳥の飛ぶ姿を見つめていたのだろう。


c0062603_15233651.jpgc0062603_1524984.jpg
1988年、レーガン大統領は、「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」に署名し、この日本人、日系アメリカ人に対する強制収容は大きな誤りだったと、アメリカ政府は初めて公式に謝罪し、一人当たり$20,000の賠償金を生存している82,000人に支払っている。
同時に、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、日系アメリカ人の強制収容所体験を全米の学校で教えるため、12億5,000万ドルの教育基金が設立された。


c0062603_15243594.jpgc0062603_15251173.jpg現在、勤務する高校図書館にも教育用のビデオ等が配布されている。
実際にこのマンザナーで暮らした人の生活を元に製作されたテレビ映画Farewell to Manzanarやその原作本である。
とてもよくできた映画で、この元になった書籍は子どもの年齢に応じて絵本にも作成されている。
この教材はセプテンバー・イレブンの翌年、2002年8月に全米の学校に配布されたものである。
教材とともに配布されたリーフレットには、このように書かれている。
The relevance of the Japanese-American experience to the backlash against Americans of Middle-Eastern descent in the aftermath of the September 11th attacks is a timely and important lesson to tach and understand.


c0062603_15255399.jpgc0062603_15263043.jpgこうしてアメリカの子どもたちは、自国の失敗を教訓として学ぶ環境に置かれている。
鑑みて日本はどうかと問うたとき、何も学んでこなかったことがとても恥ずかしい。
今はせめて子どもたちに真実を伝える教育がなされていると信じたい。
しかし、学ばなかったからといって、そのままにしておけばいいということはないはずだ。
多くの書籍やビデオ、DVDなどを手にすることができるし、こうして便利なインターネットで学んだり、知ったりする機会を得ることができる。
英語のサイト(アメリカ)
Manzanar National Historic Site 
THE MANZANAR COMMITTEE ONLINE
Japanese American Interment
日本語のサイト
マンザナール強制収容所
ヒラサキ・ナショナル・リソースセンター
日系移民の歴史
どのサイトもとてもわかりやすくできているが、中でも「日系移民の歴史」は、丹念な調査に基づいて書かれているとともに作成者の視線の温かさが伝わってくる。


c0062603_1527236.jpgc0062603_15272683.jpg
夫とともにこのマンザナー日本人収容所に出かけた頃、日本に帰国していた息子は、実家の両親とともに沖縄を訪れていた。
そこで「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れた彼は、しばしそこから動くことができなかったと言う。
当時の敵国アメリカの住人となった息子の胸に去来したものは、おそらく同じ頃に敵国の人間として閉じ込められた場所に立っていた私と同じだったのではないだろうか。
息子も、そして私も、いずれはアメリカ市民になるつもりだ。
しかし、アメリカ市民となっても、一生「日本人の誇り」だけは持ち続けよう。
それがここで生きていくということ…私はそう思う。

"Wake Up Everybody" Harold Melvin and The Bluenotes


*写真はクリックで拡大

にほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
[PR]
by lanova | 2007-01-25 23:42 | Trip | Trackback | Comments(8)

Hnads-down...Manzanar War Relocation Center 2

c0062603_1535475.jpg日本からアメリカへの最初の移民は1869年のことだと言われているが、本格的な移民は1885年にハワイ政府と日本政府の間で合意された官約労働移民に始まる。
ハワイのプランテーションで3年間働いた後、日本に帰る者もあれば、そのまま本土に渡って来たり、新たに日本から直接海を渡ってくる者も多かった。
カリフォルニア、オレゴン、ワシントン州など太平洋側の西部に、日本人は移民として流入し、当初は農園の労働力として働いたが、本来の勤勉さでその力を発揮し、事業を起こす者も現れ始めた。
ところがそれから約半世紀後の1924年に、アメリカ政府は日本人の移民を禁止する法案を発令する(その原因となったという「写真花嫁」については別の機会に)。
その後、日本の移民が復活するのは28年後の1952年のことである。


c0062603_1544770.jpgc0062603_1552096.jpg
その間に第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。
1941年12月7日、日本軍によるパールハーバー奇襲により、日本に住む人だけでなく、日本を離れた人々とその子孫にも想像を絶する暮らしが始まったのである。
前述したように1924年から52年までは、日本からの新たな移民はなく、当時アメリカに暮らしていた人は、移民一世の日本人とその子孫である日系アメリカ人の二世や三世だった。
ところが、このパールハーバー奇襲で、敵性国民と見なされた日本人は強制的に収容所に移送されたのである。
法律的にはアメリカ人である日系人も同様の扱いだった。
当時は日本人とその子孫である日系アメリカ人が全米に約120,000人住んでいたという。
その全員が全米10箇所の強制収容所に送り込まれることになり、このマンザナーには約11,000人の日本人、および日系アメリカ人が送り込まれた。
ここで私たちがきちんと理解しなければいけないのは、日本人と日系人は違うということだ。
確かに顔かたち、髪の色などは日本人そのものだ。
しかし、アメリカで生まれた日本人は間違いなく日系アメリカ人であり、アメリカ人としての教育、文化、慣習、考え方を身につけて育っている。
ところが突然として「敵国日本人」にされてしまったのである。
そこでの戸惑いは、昨日まで日本人だったのに、今朝目が覚めたらいきなりアメリカ人と呼ばれるようなものかもしれない。
いや、そんな単純なものではないだろう。
このとき、同じ敵性国でありながら、イタリア人とドイツ人は収容所送りにはならなかった。
これはパールハーバーを仕掛けたのが日本だからとも、民族的な排斥があったためともいわれている。


c0062603_1555019.jpgc0062603_1561675.jpg
主にロサンゼルス周辺の日本人と日系人が収容されたのが、このマンザナーだった。
砂地にバラックが等間隔に建てられ、軍隊式のキャンプ地が敷設された。
一つの建物に数家族が住み、家族同士の仕切りはカーテン1枚。
シャワーも数人で使い、トイレにいたっては男女ともに仕切りがなく、完全にプライバシーのない生活だったという。
しかし、このキャンプ内では比較的自由に行動もできたといい、収容者がそれぞれの職や特技を生かして、次第にコミュニティが出来上がっていった。
キャンプ内には学校もあり、そこではアメリカ人の教師が教鞭を取った。
当時を振り返って収容者の一人が回想する。
「アメリカ人の先生から民主主義について教わるんですが、何とも言えませんでした」と…


c0062603_1510343.jpgc0062603_1564564.jpg
1945年11月21日、このマンザナー強制収容所が閉鎖になるまでの3年間、ここで暮らした人は、日本とアメリカの国家間の戦いとともに、自己の中での二つの祖国の戦いを強いられていた。
この収容所では、アメリカへの忠誠を誓うことを求めた質問が全員になされ、28の質問に対して86.5%の人がYES(忠誠を示す)と答えたという記録が残っている。
自ら志願して大戦に臨み、命を落とした人もいる。
どんな思いで参戦したのだろうかと思うと、胸が締め付けられる思いがする。
多くの収容者は、収容時に財産を没収され、帰る家もなかったため、閉所後もここで生活したという。
135名がここで終焉を迎え、15名がこの地に埋葬されている。

"I still think this is the best country in the world, hands-down...and it's just up to everybody to see that it stays that way."

"Imagine" John Lennon


*写真はクリックで拡大

にほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
[PR]
by lanova | 2007-01-18 23:48 | Trip | Trackback | Comments(32)

I have a dream...Manzanar War Relocation Center 1

c0062603_15281724.jpg今日1月15日は、今から44年前の1963年8月28日にワシントンDCの大行進で、I have a dreamの演説を行ったMartin Luther King Jr.の誕生日である。
人種差別の撤廃と、すべての人種が平等に協調できる社会の必要性を、簡潔な文章とわかりやすい言葉で説いて、多くの共感を得たことはよく知られるところである。
その演説の日からまだ50年も経っていないことに、意外な思いを抱くのは私だけだろうか。
I have a dream…
この文章をここで見た時は、思わず涙がこみ上げてしまった。

c0062603_1536611.jpgここ…日系人強制収容所Manzanar War Relocation Centerである。
1942年、アメリカ政府はアメリカ国内に住む日本人移民、日系アメリカ人110,000人を強制的に軍隊式のキャンプに強制収容したのである。

c0062603_1534267.jpgなぜ?
当時のアメリカ政府関係者はこう説明している。
日本がパールハーバーを攻撃したからだと…
そしてここに収容された人たちは日本人だから仕方がないと自分に言い聞かせるしかなかったという。
When I asked my mother "Why are we here? Why are we in this prison?" She said simply, "It's because we're Japanese."

c0062603_15412287.jpgこの収容所は全米で10箇所設営され、シエラ山脈の冷たい風が吹き降ろしてくるManzanar(マンザナー)がその中でも最初の設営地だったのである。

c0062603_15435435.jpg今年最初の週末、1月6、7日と夫と出かけたマンザナー日系人収容所跡は、私にとって重い存在となったが、ここに足を運ぶことができて本当によかったと思う。
ここで見たこと、感じたことを何回かに分けて記していきたい。

"We Shall Overcome" Pete Seeger


*写真はクリックで拡大

にほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
[PR]
by lanova | 2007-01-15 23:11 | Trip | Trackback | Comments(20)